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What am I ? 私という幻想

 2018-02-12
What am I ? 私という幻想

私は、父方の禿頭、母方の白髪を余儀なく継受しています。
ロマンスグレーは霧幻の彼方、髪の後退でなく私の前進だと観念しています。
 
 
私は、饒舌で社交的な面と、無言と孤独を愛する面があります。
伝えたり繋がったりする世界に、時々嘘っぽさを感じる時があるからかもしれません。
 
 
私は、使命感に身を捧ぐのも粋、ナンセンスの渦に戯れるのも乙だと思っています。
意義を問う事、意味付けをする事で、某かにコントロールされたくないのでしょう。
 
 
私は、ヒネクレ者で「俺がやらねば誰がやる!今やらねばいつやれる!」と皆が躍起になると
「俺がやらんでも誰かやるやろ¡今やらんでもいつかやるやろ¡と不謹慎な事を口走ります。
 
 
私は、意外にも人間への絶望感が深く、人為的な偉人伝説・理想郷幻想を持てません。
唯一信じているものは、今ここに届けられる現象そのものしかないような気がしています。
 
 
私は、気持ちいい事が好きで、食・性・睡眠の「快」だけでなく何でも体験してしまいます。
でも、最大の快である死は最後に残し、今生味わえなかった出産の快は来世に託しています。
 
 
私は、時々シビレル感覚、ノックアウトされる衝撃、メロメロになる魅惑の体験を受けます。
それは意図しなくてもハジケル感動、あふれる出る情熱、ほとばしる生気として外に出ていきます。
 
 
私は、小賢しい判断力で善悪正邪をジャッジするより身体性に根ざした感覚が信じられます。
道徳、倫理、正義、理想、努力、幸福、愛国、忍耐、孝行、博愛、信仰等様々な美徳を疑います。
 
 
私は、「不思議大好き」ですが、ジェームズ・ランディや上岡龍太郎や小川心平が人として信じられます。
孔子は「怪力乱神を語らず」、梅園は「枯れ木に花咲くに驚くより生木に花咲くに驚け 」と喝破します。
 
 
私は、男とは名刺交換より一緒に風呂と飯をすることを優先します。握り○玉何も持たずに生まれ死ぬ本来無一物。
どちらかというと名詞より感嘆詞や疑問詞で付き合います。
 
 
私は、一時的な快楽に溺れ、思考停止した衝動的刹那性は紙一重の魔境だと思っています。
本来、最も大事にすべき「快」「刹那」「衝動」に隠されている元の元は最も”素”的だから。


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