何もないということの素晴らしさ

 2018-02-14
何もないということの素晴らしさ

昨日は、宮古中央公民館で「複眼思考」についての講座をさせてもらった後、日本最南端の神社•宮古神社を訪ねた。
社殿を見上げると波、花、風をあしらった模様に加えなんと琉球王朝尚家の御紋左三つ巴。ちなみに我が家の家紋は巴くずしの洲浜紋。
神社から、石畳の道を降りると宮古島で最も格式があると言われる「漲水御嶽(ハリミズウタキ)」。通常、御嶽は男性や観光客の立ち入りは禁止だがここはOK。しかも、御嶽に鳥居がある。琉球処分以降の「皇民化政策」の結果に他ならない。沖縄本島では戦後、鳥居が撤去された御嶽も多いが、宮古八重山地方の御嶽の多くは戦後も鳥居が残されているらしい。
「私を最も感動させたものは、意外にも、まったく何の実体も持っていないといって差支えない、御嶽だった。御嶽、つまり神の降る聖所である。この神聖な地域は、礼拝所も建っていなければ、神体も偶像も何もない。森の中のちょっとした、何でもない空地。そこに、うっかりすると見過してしまう粗末な小さい四角の切石が置いてあるだけ。その何にもないということの素晴らしさに私は驚嘆した」(岡本太郎 沖縄文化論)

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